日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
ASOCIACION NIPPON-BOLIVIA  
トップ
協会について
お知らせ
データ
その他情報
会員登録
カントゥータ
ギャラリー
Cantuta 会報「カントゥータ」
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
No.10
Noviembre 2006

革命の夜
上原 盛毅(沖縄ボリビア協会相談役)


 夕食後も男達だけで一杯やっていい加減酔いがまわっていたが、どうも収まりが悪い。Tがクンビアの軽快なリズムにつられるように云った。
「どこか女ッ気のあるところで呑みなおそうや」
「サンタクルスって美人の産地というだろう。拝みたいね」Yが応じる。
「沖縄を出てから十日経つもんな。仕事も一段落したし、この辺で息抜きしていいだろう」Kが俺を見る。オキナワ移住地の製油工場建設のために派遣された技術者たちは元気である。結局、宿舎からトヨタの六三年型ランドクルーザーを引っ張り出し、四人で外に出た。
 午後十時を過ぎたばかりというのに、街は静まり返っていた。街外れのキャバレーへ向けて二丁ぐらい走らせただろうか。突然、二人の男が道路の真中に飛び出して、銃を構えながら、止まれの合図をした。慌ててブレーキを踏むと、横から更に二人が銃を向けながら近づいてきた。服装からみて民兵らしい。コチコチに緊張している。
 民兵の一人がランクルの踏み台に片足を乗せて、運転している俺のわき腹に銃をつけたまま、真直ぐ行けとあごをしゃくる。反対側には軽機関銃を持ったのが車内に銃口を向けている。
 「私達は日本人だ。怪しいものではない。私はこの町に住んでいるが、友人の三人は日本から来たばかりの技術者で、これからサロンSに飲みに行くところだ。悪いのならそのまま引返してもいい」と言っても無言で取り合わない。正規兵なら訓練されているから無茶はしないが、緊張と興奮で民兵は何をするか分からない。彼らの指示に従って五丁ほど行くと正規兵で固められた駐屯所で下ろされた。ここでも日本人の技術者だから帰してくれと頼むが相手にされない。 
 どうやら革命が起こったらしい。一月前から与党MNR内部の主流派対反主流派の抗争が激しく、夜中に銃撃戦を繰り広げるような政権末期の混乱が続いていたが、ついに軍人出身の副大統領派が蜂起したという。
 ボリビアは1825年の独立以来、政情が安定せず、大統領の数が独立してからの年数よりも多いといわれるくらいだ。現政権は中道左派でアメリカとも上手く付き合って12年間統治してきたが、結局は身内の反乱により崩壊することになったというわけだ。
 俺達はさらに町の南外れにある第8連隊に連れて行かれた。そこで車の鍵を取り上げられ、体育館の半分位ある大部屋の中に入れられた。裸電球が四つぶら下がっているほかは何も無い。座る椅子すらも無い。目が慣れてくるとすでに三十人ばかりの先客が蹲ったまま無言で俺達を見詰めていた。 
 空いた壁際の一角に取り敢えず場所を確保した。酔いのせいか余り恐怖感は無いが、四人とも殆ど口を利かない。俺は何度も入り口の格子戸から見張り兵に声をかけるが、無視された。  
 一時間ぐらい経ったとき、太った大男が三人の兵士に連れてこられた。男は中に入れられることに激しく抵抗した。
「冗談じゃない。お袋が急病だと言うので、看病に駆けつけるとこだったんだ。 何も悪いことをしていない。政治にも関係していない。お袋が危篤なんだ。すぐ帰してくれ」
「つべこべ言わずに中へ入れ」
「いやだ。帰してくれ。あんたがた革命軍は人民の味方だろう。弱い者を助けるために革命を起こしたのだろう。お袋は可哀相に一人で死にそうなんだ。助けが必要なんだ」
「駄目だ、中へ入れ」と銃をつきつけ三人がかりで強引に押し込んだ。
「これだけ頼んでも分からないのか。何が革命軍だ、君達も今までの政治屋とおんなじだ。人民のためだと抜かして私腹を肥やすんだ。革命が聞いてあきれらぁ。今までだって・・・」と悪態をつき出した途端、一人の兵士が銃尻で男の腹を思いきり叩いた。うっと前屈みになるところを別の兵士の銃尻が顔面を捉えた。グスッと鈍い音をたて男は大の字にのびた。兵士たちはそのまま出ていったが、暫らくは誰も助けなかった。
 兵士たちは殺気立っているし、夜明け前にトラックに積み込まれ、郊外の林の中で銃殺され、密かに埋められでもしたら永久にわからないことになる。事態は深刻といえた。 
 丁度午前二時になった時、司令官らしい将校が二人の兵を連れ、巡回に来た。この機を逃すとチャンスは無いので、努めて落ち着いて丁寧に話しかけた。
「司令官殿、私達四人の日本人は日本領事館のパーティの帰りに、ここまで連行されました。この国が非常時にあることは十分承知していますが、私達が巻き込まれたとなると領事館でも大騒ぎになります。日本にも報告されることになりますので、少なくとも私達の居場所を知らせておく必要があります。電話をお貸し願います」
 彼は突然の日本人の申し出に一瞬驚いた顔をしたが、すぐに兵士に命じて俺達を出し、司令官室に招き入れた。
「知らないとはいえ失礼した。非常事態であることを理解願いたい。革命は成功し、我々が国全体を掌握した。日本政府にも明日正式に通知する。あなた方も今夜は帰ってよろしい」と言って、ランクルの鍵を返してくれた。途中危険ではないかと質問すると、すでに治安は回復しているから大丈夫、何かあれば、彼の名前を言えば通してくれると言う。若い、二十代半ばの中尉で、この地区の副司令官であった。
 街の中は全く静かで、満月の光がやけに明るかった。大通りを暫らく走っていると不意に横から装甲車が現れ、止まれの警笛を鳴らした。Kが逃げろと言ったが、逃げられるはずはないのでブレーキを踏んだ。兵士が十人ばかり飛び出し、散開して、車を囲み、銃を構えた。正規兵の動きに隙はなかった。俺だけ両手を上げ、運転席から降りながら、
「私達日本人四人は今、第八連隊の副司令官フェルナンデス中尉の許可を得て、帰るところです。不審があれば問い合わせ願います」と大声で説明した。
 彼らは用心深くすぐには近寄らないので、距離を保ちながら押し問答していると、幸いにもさっきの副司令官がサイドカーに乗って巡視にやってきた。ホッとすると同時に、危うく射殺されそうになったので、危険だから兵士を護衛につけてもらいたいと申し入れると、笑いながら彼が護衛すると言って、サイドカーを先導させた。俺達のランクルの後ろからはアメリカ軍払い下げジープがついて来た。兵士が五人乗っていた。 
 宿舎に着くと、革命軍のために祝杯をあげたいから、寄らないかと誘うと気軽に応じた。日本人をぶち込んだ後ろめたさと好奇心もあっただろうが、革命軍が政権を完全に掌握した余裕ともいえた。  
 ラジオ放送は国歌を流しながら、革命軍が政権を掌握したことだけを繰り返していた。アルゼンチンワインの栓を抜き、皆で革命成就に乾杯した。中尉は出されたつまみをよく食べた。特に、塩煎餅が珍しいのかチーズを乗せて口に入れながら日ボ親善だとはしゃいだ。ボリビアの士官学校を出て、アメリカのウェストポイントに留学した秀才らしいが、まだ青さの残る良家の坊ちゃんと言う感じで、とても革命軍を率いる指揮官にはみえない。
 外で待機している兵士たちにもフランスパン二本とチーズを手渡すと歓声を上げた。 彼らは一日中殆ど食べていないらしかった。
 三十分近くいて、「落ち着いたら今度は第八連隊に正式に招待する、乗馬でもしよう」と言い残して去って行った。さわやかな印象で、革命軍に対しても好感が持てた。
 翌日の新聞は大見出しが踊り、革命の克明な経過や新大統領の長い声明文、閣僚の写真や経歴の記事で埋め尽くされていた。前大統領や主要閣僚、政党幹部は殆どが隣国へ亡命して、逮捕されたのは政局に関係の無い小物ばかりだった。十二年間統治していた政府にしてはあっけない幕切れだった。双方に犠牲者らしい犠牲者は出ていなかったが、新聞の片隅に、「第八連隊副司令官パウロ・フェルナンデス中尉が巡視中に流れ弾に当たって死亡、享年二十五歳」と報じられていた。

 
日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
| Tapa | Asociacion | Información | Datos | Misceláneo | Registro | Cantuta | Galeria |