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No.3
Mayo 2003

コパカバナの聖母
林屋 永吉(元スペイン大使・元ボリビア大使)


 コパカバナと言えば、誰もがブラジルのリオデジャネイロの海岸を、そして毎年この海岸を中心に繰り広げられる絢爛豪華なカルナバルを連想するのが普通だろう。しかしコパカバナというのは元々、アンデス山中のチチカカ湖畔にある人口約6,000の村の名前である。いかにもスペイン語らしい響きを持つ名だが、語源はこの地域一帯に今も住む原住民族の言葉アイマラ語で、クオタ(湖)とカウアナ(展望台)が結びついたものだ。その名が示すとおり、コパカバナは眺望絶佳、チチカカ湖畔の最も美しい村である。
 チチカカ湖はペルーとボリビアの両国に跨り、広さは8,300平方mと琵琶湖の12倍、高さは海抜3,810mと富士山頂より高く、航行可能な湖では世界最高の大湖である。そしてこの湖畔には南米大陸では最も古いティワナコ文化が発達したし、インカ帝国もこの湖から発生した。インカ帝国の創始者マンコ・カパックとママ・オクリョの夫婦が誕生したという太陽の島は、インカにとっては創生の聖地であり、少し離れた月の島には太陽神に奉仕する何百人という乙女が居住していたということだが、いずれもコパカバナの村の丘から眺めれば眼下に横たわり、小舟で行っても小一時間の距離にある。インカ帝国華やかなりし頃は、首都のクスコをはじめ版図の各地からアンデスの山々を越えて、太陽の島に詣でる巡礼がこのコパカバナから絶え間なく船出していた。インカにとって正にコパカバナは至高の神に参ずる前の斎戒の地であったし、帰途の休息の場でもあった。その昔には恐らく、金銀で飾り立てた神殿がその偉容を誇っていたに違いないが、今では村の周辺に散在する巨石や遺構から往時を偲ぶ他はない。
 スペイン人は新大陸の各地に金銀を求めたが、同時に原住民にその「邪教」を棄てさせることを大きな使命としていたから、征服地ではあらゆる偶像を破棄し、神殿を破壊してその同じ場所に十字架を建て、教会を建立していった。コパカバナにあったという大きな神像も神殿も完全に破壊されて、そこにはコパカバナの聖堂が建てられた。この聖堂は元々はそれほど大きなものではなかったが、1583年にここに安置された聖母像の、病が癒えた、難破から救われた、事故から免れたといった幾多の奇蹟が次から次へと伝えられるに及んですっかり有名になり、一躍この地域第一の信仰の対象となって、1614年には壮大な聖堂が建設されるに至った。霊験あらたかな聖母の評判は周辺のみならず、新大陸全体に及び、更にはスペイン本国にも伝わって、当時のスペインの最高の劇作家カルデロン・デ・ラ・バルカ(1600-81)までが、「コパカバナの曙」と題する宗教劇を書いたほどであった。
 ところが、このような厚い信仰の的となった聖母像は、当時の習慣であったようにスペイン本国から招来されたものではなく、現地で作成されたものだった。それどころか、スペインの征服時にコパカバナに居住していたインカの貴族の末子ティト・ユバンキが竜舌蘭の幹で作ったものだった。当時新大陸ではインディオが聖像を作成することは禁止されていたとはいえ生粋のインディオの作った聖母像を聖堂に安置することなどは当初は思いもよらぬことだったが。土地の娘を思わせる浅黒い肌の聖母、左手に抱える幼いキリストの路傍のインディオにも似通った顔に魅せられた住民たちあげての要望とあって、宗教庁も折れ聖堂の脇陣に安置することを許可した。それはやがて本堂に移されて大聖堂の中心となり、今やボリビアの守護聖母となっている。
 インディオたちはこの聖母に、彼らの母なる大地の神バチャママを見ているのかもしれないが、ともあれ信仰は全国のあらゆる人種、階層に及んで、1983年にはこの聖母の安置400年記念祭が盛大に催された。
 リオデジャネイロの海岸にあったミセルコルディア聖堂にコパカバナの聖母が祀られたのはいつの事だか正確には判っていないが、1638年の記録に既にその名があるというから、17世紀初頭のことであろう。一説にはリオ沖で難破した船の一乗組員が聖母にかけた願の成就を感謝して奉祀したといい、他説では当時ポトシー銀山との交易に当たっていた商人が道中の安全を願って祀ったともいう。その真相は明らかではないが、いずれにしてもチチカカ湖の聖母がリオの海岸に勧請され、その名がこの地名の名になったことだけは確かなようである。
 リオのカーニバルが世界にその名を馳せているのも、うかれ踊る美女たちのおかげではなく、案外この聖母のかげながらのご利益によるのかもしれない。

 
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