日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
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日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
No.3
Mayo 2003

ティワナク再訪 (その1) -30年ぶりのボリビア-
大貫 良夫(元東京大学教授・リトルワールド博物館長)


 2002年8月21日、ペルーのリマから飛行機に乗り、一度サンタクルスに飛び、そこで乗り換えてラパスに着いた。ペルーでなれているつもりであったが、やはりエル・アルト飛行場は高い。ユネスコのイブ・グブライェ氏が出迎えてくれて、その車でラパスのメインストリートに面したホテル・プラサに入ったのはいいが、軽い頭痛がする。ラパスの第1日目は何もしないことが肝要、仕事は明日の朝からとイブさんに言われて、しばらく横になる。同行は埼玉大学の加藤泰建教授とペルーの考古学者エリアス・ムヒカの二人、加藤君はもう25年以上の研究仲間であり、エリアスとも20年余りのつきあいである。
 数年前から日本はボリビアのティワナク遺跡保存計画に協力したい意向を持っていたとのことである。幸い、日本のユネスコ信託基金でボリビア用に予定したものがあるので、それを計画に使えるのではないか、ついてはその実現に向けての第1歩を進めようということで、ユネスコ本部とボリビア事務所、ボリビア政府、日本の外務省などが意見を一致させて、われわれ考古学研究者の出番となった次第である。
 さて、以前ボリビアには来たことがあったが、あれはいつのことだったか。はじめて来たのは1963年11月で、考古学関係の役所に行った日の昼前、案内してくれていた日本大使館付きのボリビア人女性が、涙を流しながらよろよろと部屋から出て行った。アメリカのケネディ大統領が暗殺されたというニュースを聞いたとのことであった。そのときボリビアやラパスで人々はどのような反応をしたのか、残念ながらまったく記憶が残っていない。その後、私と仲間はサンタクルスまでジープを運転して往復し、それからペルーのタクナに下り、南海岸をリマまで帰ったのであった。ケネディ暗殺のことはすぐに忘れてしまったように思う。
 その3年後の1966年、ラパスにもう一度来た。このときもまた陸路でデサグアデーロの橋を渡ってペルーからボリビアに入った。車の衝突、徹夜の運転、ペルー税関の意地悪など、次々と難題が持ち上がった末に辿り着いたラパスであった。このときのことを書くには長大な紙数が必要になるので、今は書けない。とにかくこれが最後のボリビアだったから、あれから29年が経っている。凡そ30年ぶりのボリビアである。
 それにしても妙な気持ちである。自分の中では10年くらいの空白という感じなのである。30年前などという昔が自分にあるとは思えないのである。確かにラパスは人も車も昔の記憶とは比較にならないほどに増えていた。エル・アルトの町は何という変わりようだろう。大都市ができていた。昔は電気もなかったのではないか。真っ暗で、それだけにラパスへの下り道であの町の灯りが盆地の底に突然現れるのを見て、みんなが歓声を上げたのである。それでも、である。それでも、30年の間にすっかり変わったというラパスではなかった。それもあって空白の感覚が10年くらいですんだのかもしれない。いや、それとも、過ぎた時の自覚とはそんなものなのかもしれない。

  翌日は朝食を食べながらの会合で、関係者が顔を合わせた。文化担当の女性副大臣、観光担当の副大臣、ラパス県知事、ボリビアの考古学者2名とアメリカの考古学者ヴラニッチ、ユネスコ、日本大使館、そして我々。ティワナクへの日本援助の期待は非常に大きく、各人の思いこみが強く、今回のユネスコ計画には収まりきれないような夢も語られる。できるのはこれだけですと決まったときの反作用が障害とならぬようひそかに祈るのみである。
 午後は考古局でティワナク全般の現状を説明してもらい、「ベネットの石彫」の移動の記録ビデオを見た。高さ4m余りの大石彫をラパスの町から、ティワナク遺跡内にできた新しい博物館へと5月に移設したのである。昔とちがってクレーンや大きなトレーラーを使ったので、作業自体はどうということはない。面白かったのは、遺跡までの沿道に大勢の人たちが集まり、石彫の後に続いて遺跡まで行進をしたことである。大部分はアイマラ民族の農民達である。国が集まれと声をかけたわけでもなく、運搬の日を大宣伝したわけでもないという。巨大な石の人物像はティワナクに戻ることによって、アイマラの人々にとっての新しい意味を持つことになったようである。ラパスでは小さな広場に立っていたとはいえ、粗末に放置されていた状態であったが、今度は大きな広間の中央にただ一人、神像のように佇立する。昔の威厳と神秘を回復した。
 午後少し遅く、副大統領のカルロス・メサ氏を訪ねて挨拶をした。偉丈夫である。政府はティワナク保存に大きな関心を有しており、ユネスコ・ミッションを歓迎すると、張りのある声で言われ、頼もしい感じであった。
(つづく)

 
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