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日本ボリビア協会 - Asociacion Nippon-Bolivia -
No.3
Mayo 2003

37ヵ月間のラパス勤務(その1) -心に残る神々しいイリマニ山-
杉山光男(JICA中部国際センター)


 今から約13ヶ月前の2002年2月13日に約37ヶ月間のラパスでの海外勤務を終え成田空港に到着。今、あの時の37ヶ月間を思いおこしている。エルアルト空港に到着し、また、そこから成田空港に向かって飛び立つまでの間、ラパスで生活し、そこで感じたことを旅行記風に断片的に書いてみると・・・・・。

1.世界一高い国際空港に到着。高山病の症状に見舞われる。
 成田→ロス→サンパウロ→サンタクルス→ラパス。都合30時間という赴任の長旅が終わると同時にそこでの我々の生活がスタートした。エルアルト空港は富士山より高く、標高4,000mに位置する世界一高所にある国際空港だ。南米勤務はこれが4度目。が、こんなに高く空気が希薄な所での勤務は初めて。不安が過ぎる。入管・通関審査を済ませ空港ロビーに出る。高所のうえに長旅と睡眠不足と時差で体調は余り優れない。心なしか心臓がドキドキ。軽い頭痛や胃のムカツキもある。足が地に着かず身体がフワア~と心もとない。出迎えのスタッフが、「ユックリ歩いて。頭は下げないで。日本式挨拶はしないで。水分を沢山摂って。」と、早速高地での生活術の一端を教えてくれた。空港・ホテル・事務所には「酸素ボンベ」が常備されている。幸いこれのお世話にならずに済んだが、高を括り高山病対策の薬を服用してこなかったことが悔やまれた。これからここでやっていけるのかなあ?

2.窓の外に雲が流れている?
 ホテル暮らしを2週間ほどしたあと25階建てマンションの20階に住居が決まった。時期は雨期。朝起きて窓の外に目をやると何とすぐ其処に雲が流れている。霧ではない。紛れもなく雲だ。なんと高い所で生活しているのだろう。高貴な出でもないのに我々はラパスで「雲上人」になった。

3.霊峰イリマニ
  ペルー・チリと国境を接しているボリビアの西側は6,000m級の山々が壁のように連なるアンデス山脈だ。その1つに霊峰イリマニがある。万年雪を抱くこの山はラパスのシンボルでもあり、そこの人々がこよなく愛する。市内至る所から望むことが出来、我々は毎朝毎夕毎晩、寝室やキッチンからその神々しい山を拝んで生活していた。太陽が移動するに伴い、陽光を受けた山肌の色が微妙に変化。特に夕暮れ時は山肌が赤からピンク、橙、藍、紫、鼠と刻々と変化。何とも美しかった。また、時期によっては盆のようにまん丸で大きな満月が丁度イリマニ山から昇る。月光に照らされて青白く光るイリマニ山のなんと幻想的で神々しかったことか。時の経つのも忘れ飽かずに眺めていた。

4.食べ物
  ラパス市内には日本食レストランが3軒。ラパス日本人会館の中にある「ふるさと」、ゴルフと麻雀が強いママさんと日本で料理修業をした息子さんが切り盛りする「わがまま」、今でも金鉱山を掘り当てる夢を抱いている主人が経営する「ニュー・東京」の3軒だ。仕事柄、関係者には「郷に入れば郷に従え」式の偉そうな言葉を吐き、自分でもそれなりにボリヴィア食を美味しく頂いたが、やはり日本食が食べられることは嬉しかったし、助かった。特に、赴任当初、体調が思わしくなかった時、仕事帰りに仲間と一杯飲る時、正月という日本人にとって特別な意味合いがある時等に、慣れ親しんだ日本食が頂けることがどんなにか嬉しかったことか。標高3,600mの高地で沸点も充分でない状況で美味しい日本料理を作って食べさせて貰ったことに今でも感謝している。厳しい環境の中で左程のストレスも感じないで37ヶ月やって来られたのもこれら日本食レストランのお陰だし、また、日本食材を提供してくれている現地日本人社会の人々のお陰と、改めてムーチャス グラシアス。
(つづく)

 
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